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相対主義というものの見方についてのメモ

歴史修正主義は「絶対的な歴史的事実など存在せず、解釈のみが存在する」という立場をとり、あるイデオロギーにとって都合のよい解釈を擁護する。こうした立場は、相対主義そのものが絶対的なものとなっているという点で自己矛盾を呈している。

 

相対主義はまた、使い方を誤ると思考停止に陥る。相反する選択肢をとることについて「人それぞれでいいと思います」と意思表明することは、多元性に対して寛容であるような態度を示すように見えて、実はなにも考えていないということがしばしばである。生命倫理セクシュアリティについて議論しようとすると、かなりの頻度で「人それぞれでいいと思います」という旨の発言を聞くように思われる。あるテーマが問題となるのは「人それぞれ」では困ることが出てきたからであって、大して議論していない内から「人それぞれでいい」などと言っては、議論を放棄していると思われても仕方ない。議論を尽くしてもあるひとつの結論に至ることができないということが確認される前から、寛容で良心的な態度を装うことは欺瞞とも言えよう。

 

相対主義がいけない、絶対主義がいけない、という話ではなく、どちらもともに目的化されてはならないという話だろう。「ある解が存在する/しない」と前提することは、検証する前から解についての属性を定めてしまうわけだから、論証が曲げられてしまう可能性をはらんでいる。相対主義/絶対主義というものの見方は、あるテーマを検証するときの手段として用いることが有効なのであろう。