自分のためにきれいになる

主に美容備忘録 Twitter@chorinriri

「世の女性は俺にセックスアピールをするべきである」

先日ある男性に以下のような話をされた。曰く、

「私の職場の若い女性たちは、パンツルックをいいことに、しゃがむときにがに股になる。なんて”女子力”がないんだ。」

わたしが違和感を覚えたのは、”女子力”という言葉の用法である。女子力とかいう定義のない言葉を使ううさんくささは置いておいて、わたしが日常で耳にする”女子力”という言葉は、もっと別の振る舞いに対する評価語であるように思われる。すなわち、飲み会でサラダを小皿に取り分ける人を囃し立てるときに使われるような、気配りの能力を指すのではないか。この男性は”女子力”という言葉を、女性らしい振る舞いを評価するために用いている。彼は他にも、女性は服装や髪型、メイクに気を配るべきだ、とも述べていた。彼の中で”女子力”という言葉は、「女性らしさ」を指すようだ。

 

今日アルバイトで勤務しているとき、物を拾うためにしゃがみこむことがあった。並んでいるレジを打っている最中だったから、しゃがんだらすぐに立ち上がらなくてはならない。すっとしゃがみこんだわたしは、膝を大きく開いてがに股になっていた。

ここではっとしたのである。あの男性は、「世の(特に、若い)女性は、俺にセックスアピールをするべきである」と考えているのではないか。

 

わたしががに股になってしゃがみこんで物を取るとき、「女性らしく」膝を揃えてしゃがむことなど頭の中になかった。一連のこの動きにおいて最も重要なことは、いかに素早く業務をこなすか、ということである。女性らしさは業務遂行においてなんの役にも立たない。おそらく彼の職場の女性たちも同じ考えではないか。話を聞いていると、どうもその職場というのは資格を使って働く場らしい。その場で人々が売るのは資格に裏付けられた能力であって、女ではない。

 

女を売るものではない職場において、女性が”女子力”高く振る舞う必要はない。おまけにその”女子力”というものは、恣意的に内容を指定できるものである。彼は”女子力”という言葉を自分好みの女性像を指すものとして用い、女を売るものではない仕事の場でも、女性たちは”女子力”高く振る舞って、自分にセックスアピールするべきものだと考えているのではないか。そうでもなかったら、職場の同僚に”女子力”がないなどという至極当然の話を、わざわざ人にするものだろうか。

 

そのように考えると、彼のこれからが心配になってきてしまう。2016年の社会でそんなことを言っていて大丈夫か(わたしの上司にはなってもらいたくない)。