自分のためにきれいになる

主に美容備忘録 Twitter@chorinriri

卒論を書くことを通して自分という人間がよくわかった

今日卒業論文を提出した。昨年の演習から大きくテーマを変えていないので、一年間ないし直前の期間、ずっと必死に卒論に取り組んできたというわけではなかった。けれど仕上げるまでは本当に苦痛で、仕上げたのも「もう解放されたい」という気持ちでかなりいい加減に終えてしまった。わたしは修士に進むわけでもないので、卒論の出来が良かろうと悪かろうと今後の進路になにか影響があるわけではない。だから卒論は出すことにこそ意味があるので、出来の悪い学生に付き合ってくださり今後審査もしてくださる指導教官には本当に感謝している。

 

さて、そんな指導教官に卒論指導中に言われた一言が、わたしの学生生活を貫くコンプレックスを見事に言い当てていたということがあった。

「この辺り、勉強不足がわかってしまうんですよね……体系的に学べるカリキュラムじゃないからしょうがないのだけれど」

勉強不足という点については真摯に反省、という感じだったが、「体系的に学ぶ」という点がぐさっと刺さってきた。カリキュラム的には概論や基礎文献購読の演習が用意されているから、まったく体系的でないというわけでもない。しかし哲学は、歴史が長い上にどのようなテーマでも扱えてしまうという特性上、ひとつの研究テーマを決めると時間軸も空間軸もいくらでも拡張して勉強することができてしまう。そして研究者たちはそういった教養をもとに論文を書くから、それを読む側もその教養をある程度把握していないと内容を理解し切ることができない。そういった膨大な周縁知識をすべて拾い集めることが、卒論程度で可能なのだろうか。周縁を拾い切ることができず体系的な知識を獲得しないまま卒論に臨んでいたことは、この卒論の大きな弱点である。

 

というのがわたしの言い訳だった。本当は面倒だったのだ。これは拾わなくてはならない周縁であるということがわかっていながら、読まなかった文献がいくつもある。一年あったのだから、合間に就活を挟んでいたとしても十分に読める量だった。でも読まなかった。読まなくてもぎりぎり合格できる卒論が書けるとわかっていたから。「こんなもんでしょう」と世の中を甘く見ているから、わたしは「できる」ことしかしていない。

 

周りの人たちは、卒論で「やりたい」ことをしていて憧れる(わたしのように「できる」範囲でしかしていない人は、わたしと同じようにひっそりと卒論を書いていたから目立っていないのかもしれないけれど)。卒論で自分の論証したいことがしっかりあって、そのために自分の論拠を補強する文献をたくさん読んで、周縁の知識もどんどん拾っていってる。遠くの大学にある資料を取り寄せたり、邦訳のないものなら外国語も勉強して読んだりしている。みんなすごい、憧れる。きっと彼らの卒論はみんな秀がつくんだろう。そうじゃなかったらおかしい。

 

おそらくそういった人たちの全員に、飛び抜けた才能があるわけではないだろう。卒論に力を注ぐ人は、修士に進む人がほとんどだ。けれど全員が研究者になれるわけではない。ほんの一握りの人しかポストにつけないだろう。でも彼らは、「やりたい」こと、あるいはそのテーマに突き動かされて「やらなくてはならない」ことをしている。わたしはそれが羨ましかった。直接は関係しない文献を読む面倒さを上回るだけの「やりたい」ことがある学生生活は、とても充実したものとなるだろう。

 

わたしはこれまでの人生で、「やりたい」ことではなく「できる」ことしかしてこなかった。やりたいこともなければなりたい自分もなくて、今の能力のまま努力せずに獲得できる最大のステータスとはなにか?ということを考え続けて、あらゆる選択をしてきた。特別な才能はないということはよくわかっていたし、何かに執着するという根性もなかったので、世で言われている価値基準に照らして何かと選択をしてきた。でもこれまでの人生、結構楽しかったと思う。多分わたしは器用な方の人間だから、何をしても大体うまくいった。自分の能力はよくわかっているから、それを上回らないぎりぎりの学校や就職先を選択して、失敗せずにやってこれた。それで周りからは「なんて優秀なんだ」と誉められる。人生そこそこ楽しい。

 

でも、人生懸けてのめりこむほど「やりたい」ことのある生活ってどんなものなのか、興味がある。わたしはきっとそうやってのめりこむことはないから、余計気になる。自分は「やりたい」ことのない人間だから、「やりたい」ことのある人をそばで見ていたい。

 

わたしが唯一のめりこむ可能性があるのは、男だろう。わたしと違って、「やりたい」ことのある人。持て余している器用さを使ってその人の夢を応援できるのなら、自分の器用さをいくらでも提供してやりたい。近い将来ヒモを飼うだろう。