自分のためにきれいになる

主に美容備忘録 Twitter@chorinriri

インターネットに公共圏はつくれるか

議会みたいにその場で話し合うことのできる人になんらかの資格があるような場ではなく、その辺にいるいろんな人が自由にアクセスできる議論の場っていうのをどうすれば実現できるか、またその場へのアクセスをいかにオープンなものとし、衆愚化させないかというようなことを勉強したいと思っている。増田とかとぅぎゃったーとか、頻度はそんなに高くないけれど建設的な意見の提出は見られる。問題はそういう議論の萌芽を、どう建設的に育てていくかだと思う。議論を建設的に育てていくために必要なものは今のところ大きく二つ見えていて、ひとつは積極的・建設的に議論しようとする主体、もうひとつは継続性だ。

 

前者について、twitterやらはてなやらネット上では、議論に参与しようとする主体がいても現状ノイズが多いのが問題。ただノイズの中には確かに宝石が埋まっていて、これはテレビとか新聞が対象とする「世論」よりもよっぽど優れた点である(小保方騒動とか見ているとテレビや新聞が対象とする「世論」がいかに本質を無視している存在かわかる。STAP細胞があればいいなら論文にねつ造された部分があっていいのか、それは実験・観測によって仮説を実証してきた科学という営みそのものを否定することにはならないのか、STAP騒ぎはそういう話じゃないの?ネット上では「STAPあれば万々歳」みたいなお花畑意見にとどまらずとことん掘り下げた意見がいくらでもある)。

 

後者は情報化社会を否定するような論点の挙げ方ではある。次々に新たな情報に更新されていって、みんなの関心が薄れてきたらそのコンテンツは破棄される。そういうものなんだから継続性なんていってもしゃあないんだろうけど、ある程度構造を持った議題はしだいに肉感をもってわたしたちの日常生活とシンクロしてくる。誰かの頭の片隅にはずっとその話題が残っていて、その人の日常生活のどこかでその話題がフラッシュバックする。そのときの衝撃をオープンな議論の場でフィードバックすると、その話題というのは深化してよみがえる。ここに話題の継続性が生まれる。

 

その場でなにを議論するか、というのはもうすこし考えがまとまってから書く。まあなにが言いたいかって、インターネットに公共性は担えるかっていう疑問をまとめたかっただけ。