自分のためにきれいになる

主に美容備忘録 Twitter@chorinriri

弟への手紙

説教臭いことをつらつらと。

なにを偉そうにとは思うのだが、弟にこういうことを言えるのは彼の周囲にわたししかいない。

 

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弟よ

 

今は部活も友達と遊ぶのも楽しい時期だし、思春期だから家族につれなく当たってしまうのもわかる。ただお姉ちゃんとひとつ約束してほしい。

死に物狂いで学校の勉強をしろ。

楽しい盛りに学校の勉強をするのはたまらなくつまらないとは思う。けれど、死に物狂いで君に学校の勉強をしてもらいたいのには、三つの理由がある。

 

ひとつは、学校の勉強は権利だからだ。

君はまだ「公民」という言葉を聞いたことがないようだから日本国憲法の内容なんてあまりわからないだろうけれど、とにかく日本には「義務教育」という制度があって、日本の子どもには「教育を受ける権利」がある。「義務」と「権利」という言葉はわかるだろうか? 簡単に言えば、「義務」は「やらなくちゃならないこと」、「権利」は「あることをやる(もしくはやってもらう)のを妨げられないこと」だ。あんまり簡単になってないかもしれない。義務はわかるかと思うのだが、「権利」についてはひとつ例をだそう。たとえば、ある日突然よくわからない武装集団に拉致されたとする。君は椅子にガムテープで縛り付けられ、水さえ与えられない。君は恐怖し、当然憤るだろう。なぜ君は憤るのか? それは、君が理由を知らされず拘束されて、自由を奪われたからだ。この例だと、君の「身体の自由」が奪われ、「自由権」といった「権利」が侵害されたことになる。

「教育を受ける権利」は、この自由権と同じように「権利」である。多くの「権利」は侵害されてはならないものとして、日本国憲法によって保護されている。もし君が教育を受けられない状況になったら、日本国憲法違反(違憲)として裁判所に訴え出ることができる(誰が訴えるとか誰を訴えるとかはいろいろあるけど)。

ここまで読んで「なんでわざわざ、面倒でつらい勉強をする『権利』なんてあるんだ?」と思いはしなかっただろうか。この権利が保障されず「勉強してもしなくてもいいよ」となったとしたらどうなるだろうか? おそらく、君はコンビニでジャンプを買うこともジャンプを読むこともできないだろう。わたしたちの家庭について考えよう。父親は専門学校を出たが今でも非正規雇用、母親は中卒だ。慢性的に金がなく、お姉ちゃんが大きな額の奨学金を借りて大学に行っているのも君は知っているだろう。食うのに精一杯という状況で、親は給食や教材や部活に金のかかる学校へ子どもを通わせるだろうか? うちの両親が教育に理解のある人ならいいけれど、そうでなければ、君は9年間(今の日本で保障されている義務教育の年数)も学校へ行くことはないだろう。そうなれば君は文字の読み書きもできなければ四則演算もできず、今では当たり前だと思っている日常生活すら送れなくなる。

日本国憲法によって保障されている「教育を受ける権利」は、うちのように貧乏な家庭の子でも最低9年間は学校へ通えることを約束している。押し付けがましい、どこか遠くにある話のように感じられるかもしれないが、君はこの「権利」を存分に行使して(使って)ほしい。君が普通に生きることを保障してくれるこの権利を、大切にしてほしいのだ。

 

君に勉強をしてほしい理由のふたつめは、今がんばっておけば将来君が勉強したくなったときに助けになるからだ。

きっと君は、将来学校ではない場で勉強しなくちゃいけない、もしくは勉強したくなることがあるだろう。それは、君がなにかの資格を取りたくなるときや、就職したあとに必要な知識を身につけなくてはいけなくなるときなどだろう。

中学校の国数英理社がこういった勉強の基礎知識になるのは当然だ。だから勉強しておくのに超したことはない。このことも大事なのだが、もっと大事なことがある。それは、学校の勉強をすることで「勉強の仕方」を勉強できるからだ。物事を理解するためにはどのような見方をすればいいのか、文章を読むとはどういうことなのか、理解したことを運用するにはどうすればいいのか、効率よく暗記するにはどうすればいいのか、多くの人はこういった「勉強の仕方」を学校の勉強を通して勉強することになる。今ちょうど君は、国数英理社を勉強することを通して「勉強の仕方」を勉強している。

君の一年生のときの成績を見る限り、国数英理社の内容を理解できていないことより、「勉強の仕方」を勉強していないことのほうが問題のようだ。そりゃあ教科の内容がいつでも面白いなんてことはない。内容が面白くて夢中で勉強するなんてことのほうが少ないに決まっている。けれどせっかく「勉強の仕方」を勉強する機会があるのにそれを放棄しては、将来の自分を苦しめることになるだろう。

将来君がなにかの勉強をしなくてはならないときというのは、それなりに迫った事情があるからだろう。この資格をとらないとなりたい職に就けない、この勉強をしないと会社を首になる、そういう人生がかかったタイミングで君は勉強を強いられることになる。そのとき「勉強ってどうやってやるんだっけ?」などと言っていては君の人生はどうなるだろうか。

これからお姉ちゃんが君に「勉強の仕方」を伝えていきたいと思う。お姉ちゃんが示した「勉強の仕方」から君が勉強するかしないか、それには君の人生がかかっていると思う。

 

三つ目は、勉強は君のがんばりを反映するからだ。

もちろん数学がどうしても苦手だとか、暗記が苦手だとか苦手はひとそれぞれだと思うけれど、努力すれば苦手なことでもある程度できるようになる。なのにできないと、君を評価する立場にある人は君を「努力のできない人だ」と判断するだろう。君を評価する立場にある人というのは、部活や担任の先生、入試・就職試験の試験官、場合によっては友達や恋人を含む。そういった人に、君はどのように見られたいだろうか? 試験官なんて知らないわと思うかもしれないけれど、どんな高校に行くか、ちゃんと高校を卒業するかという君のがんばりは、未来のまだ見ぬ人たちに君のがんばりを示すことになる。

物事にはがんばる必要のないもの(たとえばいじめられているのを我慢すること)もあるけれど、少なくとも君にとっての学校の勉強はがんばらなくてはならないものだ。君と同じように学校の勉強を経験し、13年間君を見てきたお姉ちゃんはそう思う。君は少し集中力は欠けるけれど、数理処理能力と読解力は人並みにあるし、空間把握能力と暗記力は人並み以上にある。努力すれば成果が帰ってくると約束する。今君の周りにいる人たち、そして未来に会うたくさんの人たちに、君は努力できる人間だと教えてあげたいと思わないか?

 

長くなってしまったが、以上が君に死に物狂いで勉強してほしい理由の三つだ。

お姉ちゃんはこれから、君が学校の勉強の内容を理解する助けをし、君に学校の勉強の仕方を示す。君にはどうか、貪欲に吸収してほしいと思う。

もちろん今を大切にしてほしいし、大切にしていいのだけれど、君には未来も大きく広がっていることを忘れないでほしい。

 

 

姉より